1903年5月1日、アメリカのレブンワース刑務所に、ウィリアム・ウエストというアフリカ系アメリカ人が入所。
11ヶ所の身体計測データを組み合わせて個人を特定するベルティヨン式人体測定法で鑑定したところ、殺人犯として有罪判決を受けたウィリアム・ウエストと判明。
しかし、有罪判決を受けたウィリアム・ウエストは既に刑に服しており、従来の方法では区別が困難であるとして、指紋鑑定の普及のきっかけとなった。
後に、一部の学者が行った歴史的検証によると、2人の足の長さは7ミリ違っており、ベルティヨン式人体測定法でも区別は可能。
指紋押捺の推進派によるプロパガンダとして、2人のウィリアム・ウエストが利用されたとのこと。
実際には指紋鑑定の方が、採取が簡単で鑑定も確実。遅かれ早かれ、指紋鑑定が採用されていただろうなとは思う。
【関連】
Fingerprints: the Convoluted Patterns of Racism | Digital History
この記事へのコメント
※コメント欄が表示されない場合、ブラウザの設定やアドオンを確認してみてください。
※URLや特定の単語を含むコメントはすぐに反映されず、確認後に公開されます。